プロレスラーを目指しながらも怪我で断念した藤田あかねを再度プロレスに向かわ
せるきっかけとなったのは、アイスリボンのプロレスサークルであった。
ここからアイスリボン練習生となり、2013年5月22日にくるみを相手に初のエキシビ
ションマッチを行う。その3日後にはラジアントホールで正式にデビュー。内藤メアリ
とシングルマッチを行うも、変形キャメルクラッチに敗れた。
その後1試合を行ったものの、膝の怪我により長期欠場に入ることになる。
藤田あかねがプロレスラーになってやりたかったことの一つが被災地キャラバン
であった。「被災地で大会を出来ないでしょうか?」アイスリボンの佐藤社長はデ
ビュー直後の藤田から相談を受けていたという。9月に実現した第2回のキャラバン
には藤田も同行し、さんさん商店街大会の6人タッグマッチにて久しぶりの試合を
行った。「彼女がいなければ今回の被災地キャラバンはありませんでした」との言
葉もまた、佐藤社長の言である。
10月10日に膝の手術を行い、約一月の入院生活を送る。退院後の11月24日には
お出かけプロレスにスタッフとして参加。久しぶりに元気な姿を見せ、藤本つかさと
トークショーを行ったり、車冬次郎の求婚を光の速さで断ったりした。
復帰を果たしたのは2014年6月4日のアイスリボン564。内藤メアリと組んで藤本
つかさ&星ハム子組と戦った。
初の自力勝利を挙げたのは2015年3月21日、後楽園大会。「みかんでポン」で235
をフォールすると、8日後には235とのシングルマッチにも勝利した。2016年2月、
WAVEの「CATCH THE WAVE ヤングブロック」に出場。4月には地元で開催された
愛媛プロレスの旗揚げ戦に参加した。
2016年7月の後楽園大会ではタッグながら先輩の宮城もちから初の勝利を挙げ、いよ
いよ藤田あかね覚醒近しと思わせたが、同月に左膝前十字靭帯断裂の怪我を負い、
手術を決断。長期欠場を余儀なくされることとなった。
2017年3月の後楽園大会にて復帰。2か月後には世羅りさの持つICEx∞王座に挑戦
した。ハードコアルールで行われたこの試合以降、たびたびハードコアマッチを行う
ようになり、超花火では電流爆破マッチも経験した。
2018年は鈴木秀樹により氷結相撲巴戦化してしまったトライアングルリボンにおける
主役となる。7月の後楽園大会にて松本都を倒し遂に初戴冠するも、鈴木にベルトを
持ち逃げされ戴冠できず、といううややこしい事態に見舞われた。8月の横浜文体にて
鈴木&ケンドー・カ・シンと「幸せマシーンズ」なる謎のユニットを結成。だがその後
はとんと音沙汰がない。
柊くるみ・宮城もちとは「フランクシスターズ」としてタッグを組む。
大のドラゴンズファン。夏の上野大会では世羅りさと戦う中日 vs 広島の超ロングマッ
チが恒例となっている。
ロックバンドでドラムを叩いていた経歴を持ち、スリップノットやメタリカのファン。
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