2019年8月、4日間に渡り開催された上野大会でエキシビションマッチを行う。全10戦を
完遂して団体史上初の横浜文化体育館デビューが決定したものの、体調不良のため延期と
なる。
年が明けると練習を再開。5月4日に同会場でデビューの予定だったが、今度はコロナ禍
により大会そのものが延期となってしまう。
デビューを果たしたのは同日道場で行われた無観客試合。石川奈青のコールに合わせ、
選手たちによる紙テープが舞った。
6月13日、横浜リボンにおいて初めて観客の前で試合を行う。7月には初の後楽園大会
にも出場。翌月には今度こそ横浜文体での試合が実現するはずだったが…
その4日前に卵巣嚢腫手術による長期欠場が発表され、文体での試合は幻となった。
11月、後楽園大会にて復帰。翌2021年2月の後楽園大会でバニー及川を新技でフォール
し、自力初勝利を挙げた。 しかし、この試合で右肘の靱帯を損傷。再度の欠場に入る。
「欠場中に自分に何か出来ることはないか?」石川はそう考えた結果、ニコニコアイス
リボンチャンネルを担当することになる。4月2日より「アイスリボン情報局」のMCと
して、最新情報のアナウンスを開始。放送を続けていくうちに、「局長」という愛称が
定着していった。
4月18日の利府リボンにて復帰。7月にはdWoの旗揚げ戦に参戦。青野未来とのタッグ、
「ヤングビューティー・エクスプレス」以下、YBE)でも活動するようにもなった。
同年8月、P'sPartyにて海外遠征権利争奪トーナメントに参加。NATSUMI・バニー及川
を破って権利を獲得すると、表彰式後にリングに上がった雪妃真矢からリボンタッグの
挑戦者に指名された。
王座戦を戦ったのは6日後の後楽園大会。YBEでアジュール・レボリューションに挑んだ。
この試合で石川は左橈骨遠位端を骨折。またも欠場となり、海外遠征もキャンセルとなっ
てしまう。同年12月、ラジアントホール大会にて復帰。P'sPartyの最終戦では年内でプロ
レス卒業となる青野とシングルマッチを行い、RIBBONMANIA2021ではYBEで戦った。
2022年初頭の道場マッチにて、勤務していた交通情報会社を退社しプロレス専業となっ
たことを発表する。
同年2月、後楽園大会で網倉理奈と初タッグを結成。ここから神姫楽ミサを加えたプリン
セスユニット、「KISSmeT PRINCESS」に発展していくことになる。
5月4日、横浜武道館大会の試合に勝利すると、この日発売となったオリジナル曲
「Are you Princess?」を披露した。
5月18日、KISSmeT PRINCESSを中心とする新ブランド興行、「Princess's Party」が
スタートする。6月に入ると体調不良となった石川は、6月4日以降の大会を欠場。
7月18日のラジアントホール大会より復帰した。
8月28日、KFCホール大会で行われたメキシコ遠征決定トーナメントに参加するも本間
多恵に敗れ、前回幻となったメキシコ遠征の権利再奪取はならなかった。
10月14日、テレビ東京「デカ盛りハンター」に出演。わんこそば236杯を平らげ、女子
プロレス軍勝利の立役者となった。
10月30日、KFCホールにて昼夜に渡り開催された第3回絆トーナメントに、同期の真白
優希と「真白石川」を結成し出場。3試合を勝ち抜き、見事に優勝を果たした。
11月15日、「Super Princess's Party」にてICE王座に初挑戦。安納サオリ相手に、奈青
コールが湧き上がる熱戦を展開した。
12月14日、Princess's Partyでラストライブを行う。これをもってKISSmeT PRINCESS
のアイドル活動は無期限休止し、プロレスに集中していくことになった。
2023年1月17日、他のアイスリボンメンバーと共に「モヤモヤさまぁ〜ず2」に出演。
プロレス風の交通案内実況を披露した。
1月29日の新木場大会以降、”自分探しの冒険家”となった石川が久しぶりに姿を現したの
は、2月18日の道場マッチ。サファリルックに双眼鏡という、大胆なモデルチェンジを
お披露目した。
3月16日、記者会見で3月末でのアイスリボン退団を発表。会見ではKISSmeT PRINCESS
の解散が団体による強制であったことなどが石川より伝えられた。
3月25日の道場マッチにおいて、出場全選手との1分間マッチを行う。サプライズを含めた
全20試合と番外戦を行い、アイスリボン道場に別れを告げた。
4月12日、KISSmeT PRINCESSで初のイベントを開催。石川奈青は、苦境のアイスリボン
を明るく支えてくれた功労者。新たな舞台での活躍に期待したい。
|