2004年10月、我闘姑娘旗揚げの日にさくらえみに直訴して入団。その場で対面した高橋李
佳に「本当は私もデビューしたかったんですけど、デビューされちゃって悔しいです」 「今度
試合しましょう」と話し掛け、高橋を驚かせる。
さくらよりデビューまでのお菓子禁止令が出されたほどのお菓子好き。レディース・ゴングに
「好きな お菓子ベストテン」が掲載されたほどであった。
デビューが決定したのは我闘姑娘興行第3戦。対戦相手が注目されたが、なつみ知香が引
退試合の相手に指名。それを知った夜は戸惑いや不安から一睡もできなかったという。
結局、引退試合は零vs市井舞の勝者ということに落ち着き、希月はなつみ7人掛けの一人
目として一分間を戦い、引き分ける。しかし、同日の春日萌花戦では逆エビで早くも初勝利
をあげ、いきなり春日を置いてきぼりにした。
2005年8月より膝の怪我により長期欠場。翌年2月の石井美紀戦で復帰する。
復帰後にはアイスリボンマットで一日6試合をこなしたのを初めとして短期間に数多くの経験
を積み、実力も急速にアップ。注目の若手として一気にブレイクした。
2006年と2007年、ジュニアオールスターのメインイベントに連続出場。群を抜いた明るさと元
気で、各他団体からも引っ張りだことなる。
対戦相手を立て続けにボディスラムで投げた後にポーズ付きで叫ぶ「青春〜ピラミッド〜
!!」は希月の試合の名物。決めポーズとして浸透したのは、おそらくミホカヨの「ヤー!」
以来だろう。
2006年10月、NEOマットにて「あおい前髪軍団」の結成を宣言。インパクトのある軍団名
とポーズで一大勢力になるかと思われたが、ぱっつんという前髪の敷居が高さゆえか、
軍団の拡張は幻に終わった。
2007年に「チーム青春緑」をNEO(当時)の野崎渚と結成、チームTシャツも発売された。
その他のメンバーとして、みなみ飛香(見習い=イメージカラーが緑だから)、植松寿絵(最
高顧問=昔緑の水着を着ていたから)がいた。
2006年・7年と、JWPジュニア王座を巡り中島安里紗と二度激突。しかしいずれも惜敗し、
ベルトには手が届かなかった。
膝の状態の悪化のため手術に踏み切り、2008年3月より再度の長期欠場に。11月に復帰
すると、再び多くの団体からもオファーされて試合を行った。しかし、2009年4月を過ぎた辺
りから頭痛に悩まされるようになり、試合を欠場。この間、道場興行でのMC等を務めていた
が、9月1日1より無期限の休業に入る。
その後は後楽園大会のリングアナを一度務めた以外、姿を現さない日が続いていたが・・・
植松の出演した舞台を見てプロレス復帰を決意。2011年12月25日の後楽園大会、その植
松とのシングル戦で復帰を果たした。翌年最初の大会ではアイスリボン所属として最後の
東京での試合となるさくらえみとシングル対決。試合後にアイスリボンのジャージをさくらに
託された。3月には早くもICEx60戦に名乗り。「復帰してすぐベルトに挑戦できるって思ってる
のかよー!?」と詰め寄る志田光に対して「思ってる〜!!」と応え激怒させる。
何から何まで好対照の二人はサムライTVでの公開調印式でもひと悶着、遂にはセットを破
壊する惨事を招く。
試合には敗れたものの、実に希月あおいらしい、ハッピーなプロレスを展開した。
続く5月の後楽園大会では帯広さやかと「ハッピーメーカーズ」を結成し、藤本つかさ&つくし
のドロップキッカーズと対戦。帯広が藤本をフォールし、第24代王者となった。意外なことに、
これがベルト初戴冠である。
2012年の大晦日にはつくしと組んだ「新・チーム青春緑」で木村響子&帯広さやか組を破り、
第31代リボンタッグ&第7代REINA世界タッグ王者となる。
2013年3月の後楽園大会ではかつてしのぎを削った中島安里紗とタッグを結成。フィニッシュ
ホールドは、2007年7月以来に決めたクロスアームジャーマンであった。
5月にはつくしのICE×60、7月にはチェリーのFly to Everywhereに挑戦するも、シングルベル
ト初戴冠は持ち越しとなった。
久しぶりの他団体参戦も行うなどアグレッシブに動いていた希月だったが、またしても膝の
怪我に見舞われてしまう。8月の大会を最後に欠場に入った希月が戻ってきたのは、2013年
最後の大会。「あおいさんがいるのといないのとでは、リングの明るさが全然違う」。藤本
つかさが大会後のニコ生で語った通り、元気一杯の希月あおいがそこにはいた。
だが、その後も試合数は増加しなかった。2014年の試合数は、8月まで9。9月、そんな希月
に転換換点が生じる。横浜リボンで対戦した藤本つかさを電撃フォール。試合後、高らかに
ICE×∞王座挑戦を表明し、以降は試合数が飛躍的に増加することになった。
前哨戦を繰り返す中、「ハッピーに飽きた」など、以前からは考えられないような発言が見ら
れるようになる。明らかに、希月の中で何かが変わっていた。
タイトルマッチが行われたのは11月の横浜リボン。惜しくもベルトは奪えなかったが、ビーナ
スシュートを浴びた直後の投げっ放しクロスアームジャーマン以降の場内の熱狂ぶりは、ICE
史上特筆すべきもの。間違いなく、希月のベストバウトの一つであった。
2015年はデビュー10周年。その記念すべき年に、遂にシングルベルトを腰に巻くことになった。
6月にくるみを破りICE×∞王座を獲得すると、翌月には紫雷美央とのダブルタイトルマッチを
制してFlyToEverywhere王座の2冠王者に。また春山香代子とはオレンジハッピーズを結成して
JWPのタッグリーグ・ザ・ベスト2015に優勝。アイスリボンでもインターナショナルリボンタッグ
王座を獲得するなど、期間限定タッグでありながら際立った存在感をみせつけた名チームとなった。
「プロレスでハッピー」を標榜するアイスリボンにとって、”スーパーハッピーメーカー”希月あおい
は紛れもない団体の象徴である。
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