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内藤 メアリ (ないとう・めあり) |
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生年月日 | 1974年6月3日 | ||||
出身地 | 埼玉県春日部市 | ||||
身長・体重 | 164cm 61kg | ||||
デビュー | 2011年2月26日 イサミレッスルアリーナ 都宮ちい戦 | ||||
得意技 | ネックブリーカー、RKO | ||||
タイトル暦 | 第5代24の瞳選手権 | ||||
アイスリボンが主催するプロレス教室に参加し、約1年後にデビュー。蕨道場開催の教室と しては第1号の選手となった。デビュー戦は2011年2月26日のアイスリボン268。123人超 満員札止めの中、都宮ちいとシングルで戦った。4月1日には19時女子プロレスに初参戦、 タッグチームとして初勝利を挙げた(パートナーは真琴)。 後楽園ホールへの初登場は3月21日。2度目となった5月5日には「ゴー!ゴー!ゴールデ ンミックスドタッグトーナメント」に参加、パートナーのTHE101と共にエアギターをかき鳴らし まくった。 思わぬ試練は、3度目の後楽園ホールから始まった。8月の大会で行われた6人タッグイリ ミネーションマッチにおいて、23秒で脱落。続く年末の後楽園大会においても1分40秒で 最初の失格者となり、オーバー・ザ・トップロープ(OTR)がトラウマとなってしまう。 2012年に入ると、トラウマ克服を決意。道場マッチにてOTRマッチを2試合戦ったのち、3月 の後楽園大会にて石川ジャイ子とOTR戦に臨む。数度に渡ってリングアウトの危機に陥っ たものの、逆転で勝利を収める。これがシングルマッチの初勝利でもあった。 5月には666にて初めてのタイトルマッチである、YOUNGリボンミックスドタッグ王座選手権 に挑戦。7月にはJWPとの合同興行「JRIBBON」で開催された「夏女決定トーナメント」に同 い年の阿部幸江と組んで出場(阿部自身は一つ下だと強く主張)。8月の新木場大会では Nキューブの同胞・成宮真希と組んでREINA世界タッグに挑戦した。 6月23日、前月に年齢を公表して同級生という事実が判明したチェリーとタッグを結成。 ここに「BEAUTY BEAM AGGRESSIVE 38」、略して「BBA38」が誕生する事となった。 このチームで9月にはインターナショナルリボンタッグに挑戦するも敗れ、試合後つくしと くるみに投げられた紙テープをキレ気味に引きちぎった。 2013年に入って共に齢を一つ加えると、BBA38での活動が不能の状態に陥る。そこで改名 されたチーム名が「オバタリアン39」である。1986年に連載が開始された漫画から採った 新たなチーム名は、より昭和の色の濃いものとなった。 6月の名古屋リボンでは改名後初のリボンタッグ選手権に臨むも敗北。8月の次期タッグ挑 戦者決定戦出場枠争奪戦には勝利したものの、後楽園大会での次期挑戦者決定戦には 後輩である山口ルツコにフォールを許し、またもチャンスを逃した。 2014年3月、マッスルビーナスと内藤&成宮組の試合がノンタイトルとなった事に納得の いかなかった内藤は、当日の入場式にて志田光を急襲する。急転直下でタイトルマッチと なった試合には勝てなったものの、初めてといっていい内藤の激しい自己主張であった。 その後も5月に新田猫子、11月にチェリーとパートナーを替えて挑んだものの、ベルトには 手が届かなかった。 若い対戦相手には必要以上の敵意を燃やし、油性マジックによる顔面落書き攻撃が定番 となる。試合終了後の退場時にセコンドを急襲することもあり、場内に悲鳴が響いた。 10月18日、アイスリボン597において引退を発表。 BBA38・オバタアン39・日本トシキテル連合、そしてNキューブ・ジェラシータイフーンとして 駆け抜けてきたアイスリボン最年長レスラー唯一の後悔は、ベルトを巻けなかったこと。 しかし、引退試合終了後に17人掛けに挑み、これを完遂。最後の最後で24の瞳選手権の ベルトを巻いてマットを降りたのであった。 |