普段は内藤メアリと同じ障害者団体で働く。プロレスの入り口も内藤と同様、アイス
リボンのプロレス教室で、約1年という教室歴も同じである。2011年2月26日に内藤
とのエキシビションマッチを経て、3月2日に正式デビュー。プロレス教室出身者
としては2人目であった。さくらえみとのシングルでデビューした、アイスリボン唯一
の選手である。
デビュー2戦目の宮城もち戦にて早くも初勝利を上げ、3戦目には後楽園大会に出場。
5月の後楽園大会では「ゴー!ゴー!ゴールデンミックスドタッグトーナメント」に大石
真翔と組んで参加、決勝戦では真琴をフォールする殊勲を上げ優勝を果たした。
同年6月には藤本つかさを変形逆さ押さえ込みでフォールし、第7代トライアングルリボ
ン王者に輝く。敗れはしたもののこの翌月にはICEx60王座にも挑戦するなど、順調に
キャリアを積んでいった。
2012年1月、松本都を破り、2度目のトライアングルリボン王者に(第9代)。初防衛に
は失敗したものの3月には取り返し、第12代王者に返り咲いた。7月の札幌大会では
松本と組んでドロップキッカーズを撃破。自身初のインターナショナルリボンタッグ王座
を獲得。翌月には志田光の持つICE×60王座に2度目の王座に挑戦した。
新田猫子といえばトライアングルリボン−。2013年5月には3度目の同王座を戴冠。
猫入り式十字固めで数多くの選手を葬り、すっかりとこのイメージが定着した。機を見
て柔軟に対応することのできる猫子の特長が大いに生かせる試合スタイルであるのだ。
本人もトライアングルに対するこだわりは強い。試合後に飲酒して一時的に日本語が
話せるようになった時に放った一言、「トライアングルをなめるなよ」はプライドに満ちた
迫力があり、藤本つかさが2013年に印象に残った一言として挙げているほどだ。
「トライアングルの猫子」は2014年も健在。前年の大晦日に王座を落としたものの、8月
の後楽園大会で奪回する。凱旋興行、岐阜リボンにベルトを持って帰る−。
地元でそう約束していた猫子だったが、11月に趙雲子龍に破れ、凱旋2週間前にベルト
を手放してしまう。そこで猫子が選択したのは、地元でのリターンマッチ。
満員の観客を集めた岐阜リボンで見事趙雲をフォールし、ベルトを取り戻したのだった。
また、シングルでも7月にICE×∞選手権に挑戦。徹底した膝攻めで藤本つかさを苦し
め、試合巧者ぶりを改めて印象づけた。
2015年5月の横浜大会。トライアングルリボン3度目の防衛を果たした試合後にマイクを
持った猫子は、2015年大晦日の後楽園大会にて引退することを表明する。
これ以降、ベルトを持ったままの引退はさせないとばかりに数多くの選手達が挑戦するも、
猫子はことごとく退けていく。12月19日には藤本つかさをフォールして8度目の防衛に
成功し、引退日にベルトを返上することが確定した。
引退表明後は「新田猫子引退ロード」が不定期に開催され、米山香織、Leon、豊田真奈美
らとのシングルマッチ が実現する。10月には岐阜リボンで2度目の凱旋を果たし、藤本
つかさと最後のシングルマッチを行った。
得意技であるキャット空中ニャン回転は使う毎に飛距離が伸び、リング中央辺りにまで飛ぶ。
また、ラ・ケブラーダの空中姿勢は恐ろしく奇麗。安定感も抜群で、リング下にピタリと
着地することも珍しくない。
紙テープが大好き。投げられると同時に飛びついてじゃれまくり、気がつけばリング内
がすっかりきれいになる。猫子喜びセコンドは助かる、一石二鳥の素晴らしい習性だ。
普段は猫語しか話せないが、酒を飲むと人の言葉を話せるようになる。美声。
引退試合は235と組み、藤田あかね&弓李組と戦う。アイスリボンの”未来”へバトンを
渡すために−。
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