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紫雷美央 (しらい・みお) |
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生月日 | 1988年2月14日 | ||||
出身地 | 神奈川県鎌倉市 | ||||
身長・体重 | 164cm 54kg | ||||
デビュー | 2007年3月4日 新木場1stRING 浦えりか&浦井百合&竹迫望美戦 | ||||
得意技 | 土蜘蛛、紫閃光、首四の字固め、バズソーキック | ||||
タイトル歴 | 第5代SGPグローバルジュニアヘビー、第910代アイアンマンヘビーメタル級、 第15代ICE×60、第5代WAVE認定タッグ、第4代Fly to Everywhereワールド |
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X | @MIOiceribbon | ||||
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2007年3月、MAKEHENにてデビュー。2009年に妹の紫雷イオと共に退団しフリーとなる。 当初は天才型レスラーとして脚光を浴びた妹の影に隠れがちな存在であったが、SMASH やユニオンプロレスなどの男女混合団体に参戦して卓越した話術を織り込んだスタイルに 磨きをかけていくうちに、女子プロレスを見ない層のインディーファンにも認知されるよう になっていく。その結果が2011年日本インディー大賞の「ニューカマー賞」受賞であった。 「私はデビューしてからずっとずっと妹と比べられて、プロレスが下手くそで・・・」 涙を流しながらの受賞スピーチは感動的であった。 その後も数多くの団体にオファーされて着実に活動の場を広げていき、日本のフリーレス ラーとしてトップクラスの売れっ子となる。 アイスリボンに初参戦したのは2009年の9月30日。コンスタントに出場を続け、2012年 9月には志田光を破り第15代ICE×60王者に輝く。大晦日に成宮真希に敗れるまで2度 の防衛に成功した(相手は藤本つかさ、新田猫子)。 常に辛口の憎まれ口を叩きながらも2013年7月にはおでかけプロレスに初参戦するなど、 アイスリボンにおいても順応性の高さを大いに発揮していった。 2014年1月22日、ニコ生にて記者会見を行う。そこで発表されたのは、ユニオンプロレス・ OZアカデミー・WAVE・そしてアイスリボンの4団体同時所属であった。 所属としてのアイスリボン初戦は1月29日。藤本つかさ・松本都と組んで内藤メアリ&世羅 りさ&渋谷シュウ組と戦い、内藤から直接の勝利を飾った。 アイスリボンに所属してからほどなくして大の優華推しに。優華も事あるごとに「美央さん 大好き」と公言する、相思相愛の仲となった。 2月1日を皮切りに定期的にタッグを組み、6月の北沢大会での優華のアピールによりインター ナショナルリボンタッグへの挑戦が決定。翌月のラジアントホール大会において.STAPと 戦ったが、ベルト奪取はならなかった。9月には紫雷美央所属4団体興行、「M.I.O」が新宿 FACEにて開催。成宮真希・木高イサミと組み初のデスマッチにチャレンジした。 2013年に大畠美咲・藤本つかさと「クローズ」を結成。2015年7月と8月には自主興行を 行った。 2015年2月16日、 M.I.O興行の会見にて、第5回のM.I.O興行で引退することを発表。 同年9月20日、 超満員の観客を集めたM.I.O.後楽園ホール大会において、タッグ・シング ル・6人タッグの3試合を行い引退した。 全試合終了後、結婚する事を電撃発表し、同年10月10日、タンク永井と結婚。 同年12月31日、アイスリボン後楽園大会にてMIO名義でレフェリーデビュー。 2016年8月16日、上野大会にて9月1日付でアイスリボン所属となることを発表。所属後は レフェリーに加えてプロレスサークルのコーチも務める。 2020年8月9日、アイスリボン横浜文化体育館大会において、欠場となった石川奈青の代役 として1日限定復帰。 その後も欠場選手の代役や引退を控えた選手とのエキシビションマッチや全員掛けの一員と して時折試合を行った。 2024年6月23日、真白優希の持つトライアングルリボン王座に挑戦。試合後、ウナギ・サヤ カの「レフェリーなのか試合するのかどっちかわからない」という問いに答える形で、今後 はレフェリーとレスラーの二刀流でやって行くことを宣言した。 同年8月、後楽園大会にてウナギと組み、むこまこのリボンタッグ王座に挑戦。 以降もコンスタントに試合に出場している。 |
2024/09/16 LAST UPDATE |
2013/03/14 NEW |